<観客の足を映画に運ばせるには?と考え続けた名プロデューサーが逝く>荒戸源次郎さんについて語る

荒戸源次郎さんが本日2016年11月7日にお亡くなりになりました。

arato

映画館で初めて触れた荒戸源次郎さんの作品は、「ゲルマニウムの夜」でした。その作品は、上野の東京国立博物館内にひっそりと建てられた「ゲルマニウムの夜」専用の映画館・一角座で上映されていました。当時上京したばかりで、東京という土地もよくわからず、キョロキョロしながら映画館まで足を運んだことを覚えています。

imgd706522b8f0xkw

荒戸源次郎さんといえば、「映画を観客に観せる」ことに対する情熱を抱き続け、そして実行し続けた、映画プロデューサーという名に相応しい映画人です。

荒戸源次郎さんがどういう人であったのか、一度もお会いしたことがない自分にとっては、インタビューなどから発せられる言葉を頼りに、推し量ることしかできません。ですが、荒戸源次郎さんがどんな作品を残し、どのような映画人生を歩まれたのかは、僭越ながら自分の視点で語ることができるので、少しでも知らない方に伝えすることができればと思い、こうして文章を書いています。

荒戸源次郎さんは「観客の足を映画に運ばせる」という点に問題意識を持ち、独自の考えを基に、実験を続けた人でした。

代表的な例は、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」。東京タワーの下などにエアドーム型の小さな映画館「シネマ・プラセット」を建てて、映画を公開させました。荒戸さんはなぜこのような公開方法を選択されたのでしょうか。

真っ先に思うのが、映画を話題にさせたかったからという理由が考えられます。

社会と映画の接点をシネマプラセットという専用映画館を作ることで増やし、話題を作りたかったから。今までにない新しいものをつくることで社会の人々の目を映画に向けさせたかったから。そのような理由が考えられます。

ほとんどの映画作品は作った後に、既存の映画館で公開され、その後、DVDやレンタルなどの二次使用へと流れていく、という定型があります。そうした中で、既存の映画公開とは違った別アプローチはないかという考えを打ち出したいという想いがあったのでしょうか。

映画公開の為に、専用の映画館を建設する、という手段は、他の映画との差別化にも繋がり、作品自体にも付加価値を与えました。それは鈴木清順監督の独自の世界観を体験させるという意味でも非常に効果的であっただろうと感じます。

「ツィゴイネルワイゼン」の作品自体の評価は、映画賞での受賞なども含めて、素晴らしいものだったようですが、興行的にはうまくいかなかったようでした。

http://sayonarako.exblog.jp/948191

(こちらのブログに当時の興行に関わられていた方の記事があります。当時のリアルな様子が綴られているので、ぜひ読んでみてください)

ここで思うのは、普通に考えて一本の映画の為にそんな映画館を建設したら、どう考えたって赤字になるだろうということです。もちろん、可能性はゼロではないでしょうが、只でさえ万人に受ける映画ではないので、映画館を建てるという大きなリスクを取るという決断は、相当に心臓が強くなければ出来ることではありません。

 

それは情熱だなと思います。

 

荒戸源次郎さんは、日本映画における新しい興行方法を「やるか・やらないか」で、やった人なのです。そして、興行的にはうまくいかずにシネマ・プラセットは倒産しているにも関わらず、なんとまた2005年になって、同じような手法で、一角座を建設しているのです。

 

なんというバイタリティーなのでしょうか。恐ろしいです。

自分が荒戸源次郎さんのことを想うときに、一番凄いと感じてしまうのはこの点です。過去に金銭的に失敗(ではないのだが)したことを、またやってしまえる精神力です。

と同時に、自分自身のエネルギーの少なさに身震いしてしまいます。自分は何を守っているのだろうか。荒戸源次郎さんはこんなにも映画に対して、突っ込んで(いや、ぶっこんで)いるのに、自分はどれぐらい映画に対して体当たりできているのか。そんな自問自答を繰り返してしまいます。チンケな自分の存在について考えさせられます。

もちろん、荒戸さんが活躍した時代と現代とでは、そこに生きる人間の営みも違います。ですので、荒戸さんのやり方をそのまま今の時代にやったとしてもあまり効果は期待できません。分かりやすく言えば、荒戸さんの時代にはITという手段はほぼ実在しませんでした。

現代は人々の生活の傍らに、常にITがある、ということが何よりも重要なポイントであると感じます。映画は、ITとどのように共存・共栄していくのか。ここを見つめることが、荒戸さんのやってきたやり方を踏まえて、今の時代に映画を打ち出す、ということではないかと考えています。

そして、荒戸源次郎さんは、「他と違うこと」をとにかく強く求めていたのではないかと思います。その目的は、「観客の足を映画に運ばせるため」であり、既存の映画興行のスタイルに満足できず、独自のやり方を実践し続けたのでしょう。

p5-35-aka-1

昔よりもさらに様々な娯楽で溢れ、情報革命が起こり、スマホに時間を奪われる生活をしている我々。Twitterのフォロワー数によって求心力が計られる現代。

 

「足を運ばせる」為の工夫がより必要になっています。

 

そうした中で、荒戸源次郎さんの行ったような手法は、ストレートで体あたりですが、何か考えさせられるものがありました。

荒戸源次郎さんは、晩年、映画監督としても活躍され、様々な作品を撮られました。

心よりご冥福を申し上げます。

<筆者プロフィール>

石原 弘之(イシハラヒロユキ)

株式会社ポルトレにて、映画配信サービスORQUESTを運営。2012年「風待ち」にて第17回 調布ショートフィルム・コンペティション奨励賞。2016年「風媒花」にて商業映画デビュー。

Facebook

Twitter

Comments are closed, but trackbacks and pingbacks are open.